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zoom RSS 読書録(5) 『東京プリズン』(赤坂真理)

<<   作成日時 : 2012/08/21 14:21   >>

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 主人公15歳のアメリカから30年後の日本まで、そこに一貫して流れる「日本とは何か」。著者自身の精神生活を母娘の葛藤をベースに掘り下げて描いた自伝的小説。映画のキャッチコピーのような入り方をしたが、日本人の精神にタブーのように形成されている問題を真正面から取り上げた問題作、と紹介しても間違いないだろう。今年の夏も暑い。67年経った今日も「靖国」「南京」「慰安婦」「原爆」「空襲」「沖縄」「領土」等、終戦処理が未だに終わっていない様相だ。これは、だからこそ外からの日本はどう見えるのか著者は問うた。3.11も体験した作品。

■「台所にある黒電話は、薄く油膜が張ったようで、その油膜によって酸っぱ甘いような匂いがする。」(P9。14行〜P10。1行目)
★読み始めてこの文章にぶちあたった時、私はそこで立ち止まってしまった。この作者は下記の「薄い雑音」という表現を含め、言葉の使い方が繊細で、知覚を細部に選り分け独自の感覚の世界を表現しようとしている。「酸っぱ甘い」という表現は「甘酸っぱい」とどこがどのように違うのか悩まされた。「甘酸っぱい」は普通に使われる表現で、青リンゴの未熟さと嬉し恥ずかし、期待と危険が隣り合わせになったような青春の味わい、何かロマンチックな懐かしさを想定させるが、それをあえて、「酸っぱ甘い」と倒置した表現は、「油膜」もあって、「饐えた猥雑さ」とでも言おうか、「否定的懐かしさ」を表現したかったのだろうか。あるいは「酸いも甘いも知る」に通じる概念なのか、よく分からない。参考に、縁起物にも使われる「すあま」という和菓子がある。まあこれは関係ないか。

■〈2009年、8月15日。……。ソファでうたたねしていたら、電話が鳴った。起き上がり、黒い電話の受話器をあげた。
「はい」と私は言う。耳の中に、さーっという音が流れ、その薄い雑音にくるまれて女の人が、知らない言葉を話していた。言葉は水のようだ。渦のようだ。「……ピーポゥ」それだけ聞き取れた。〉(P9。1行〜6行)
■〈「ピーポゥ」は、たくさんの「小さな人びと」となって、私の中に住み着いた。〉(P10。17行〜18行)

★この、「ピーポゥ」は村上春樹『1Q84』の「リトル・ピープル」とどう違うのか、同じなのか。〈この小説『東京プリズン』中にも後半(P335〜P339)、「リトル・ピープル」が出てくる。〉
●『1Q84』「リトル・ピープル」《『白雪姫と七人のコビトたち』みたいだ、と少女は思った。……でもそれには一人足りない。》(『Book2』P402。18行〜19行)
●『東京プリズン』「ピーポゥ」《「や!目覚めた目覚めた」
「にんげんがにんげんが」
小さな人びとがわらわらと寄ってきた。まるで白雪姫だが、自分がどうしてこんなことをしているかわからないし、小さな人びとの数だって七人より多い感じ。》(P141。15行〜18行)


★この小説は多くの点で『1Q84』と似ている。
『1Q84』『東京プリズン』との共通性。
●『1Q84』死んだ山羊(口)―通路― 『東京プリズン』殺したヘラジカ―食した―
●『1Q84』押し込められた土蔵 『東京プリズン』隠れた押入れの中の小部屋(〔長持〕)
●『1Q84』リーダー(ビッグ・ブラザー) 『東京プリズン』大君(TENNOU)
●主人公が住んだところ 共に杉並区高円寺。

■「私たち日本人は漂泊の民ではないだろうか。というより、故郷と自分の身心を、自ら切り離した民なのではないだろうか。だからこんなに国土を切り刻んでお金にできるのだ。お金は、殖えもすれば消えもする。風景は、消えたら戻ってこない。」(P68。13〜15行)
★環境破壊、バブル狂宴。自傷と自嘲と警鐘と。

■「お前が特別無知なわけじゃないってんなら俺たちは、日本人というものに同情する」
「同情なんて要らない。私たちは復興した。もう戦争の傷跡なんてない!世界第二位の経済大国なのよ!」
私はヒステリックに叫んでいた。自分がそんなことを考えていたことに驚きながら。
「そうだな。やはり感服と言ったほうがいいな、なんたってひとつの民族がそれほど歴史を忘れて生きていけるとは!」
何か、ものすごく本質的なことを言われてしまった気がする。(P241。11行〜17行)

★この小説は、上記の文章を含め、『1Q84』と問題意識を共有している観がある。
●『1Q84』《「あいつらはね、忘れることができる」とあゆみは言った。「でもこっちは忘れない」
「もちろん」と青豆は言った。
「歴史上の大量虐殺と同じだよ」
「大量虐殺?」
「やった方は適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえる。見たくないものから目を背けることもできる。でもやられた方は忘れない。目も背けられない。記憶は親 から子へと受け継がれる。世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶 との果てしない闘いなんだよ」》(『Book1』P525。2行〜9行)

●『東京プリズン』《およそ人間関係で、いっときスカッとすることは、後でしっぺ返しがある。先週、嫌いなスペンサー先生をやり込めたけれど、やり込めた人は忘れても、やり込められた人はそれを忘れない。そのしっぺ返しは忘れた頃にやって来たりする。どうしてこんなことだけ、万国共通なのだろう。》(P253。6行〜8行)

■《母国では、近現代史を勉強しないようにカリキュラムができていた。よほど興味を持って調べない限り、そこはわからないことになっていた。そしてわからなくても、テストで点がとれる。近現代史の前ですべてが時間切れになるようにできていたからだ。》(P348。7行〜9行)
★いつだったかよく覚えていないが、(3年ぐらい前だったか?)NHKの視聴者参加型の討論番組で若者が現代史をよく知らないということが話題になった。その時、ゲスト出演していた元文部大臣の自民党・町村信孝氏は、カリキュラムはそこまでいかずに終わるようにあえて作られていると告白していた。したがって上の文章は事実を書いている。町村氏は、左傾の教員が多いからだというような意味のことを言っていたような気がするが、歴史の真実を知らせたくない事情はなにか。天皇の地位と米軍の駐留に関係することだろうと日本人でもうすうす感じている人は少なくないだろう。いや、少ないかな。それにしても、日中間、日朝(韓)間それぞれの歴史認識は未だにずれたままである。

■《……。そのアメリカ人が、日本人の戦争アレルギーほどの過敏な反応をした戦争が、あった。ヴェトナム戦争だ。私はホストファミリーの母親、メアリ・アンのことを思い出していた。即座に「あれは間違った戦争だったわ!」と言ってこちらの質問も意見も封じたメアリ・アン。触れられたくないことが、そこにある。》(P181)〈この後、メアリ・アンが特別な人でなく、むしろアメリカの多数派の代弁者なのではないかという説明が続く。また、学友のアンソニー・モルガーノはヴェトナム戦争を「アメリカの恥部」と言う(P182)。さらに、〉《「アンソニー、ヴェトナム戦争ってどんな戦争だったか知ってる?」
「“間違った場所の間違った戦争”」
即座に早口で彼は返しつつ、それが人の言葉であることを示す、引用符のしぐさをした。》(P183)

★このように、アメリカではヴェトナム戦争を“間違った場所の間違った戦争”という認識が一般化しているようだが、翻って日本では、「日中戦争」を“間違った場所の間違った戦争”と認識している日本人はどれほどいるだろうか。

 読み終わって、いやいやすごい小説だ、深い小説だ、と感動するのでなく、むしろ圧倒されたというところが本音だろう。感性の豊かさ、鋭さは言うにおよばず、史料の深い読み込みに基づく考証には大いに学ばされた。ただ、私は最後までついていくのが大変だった、いや、ついていけたかどうかさえあやしい。それは、場面の時・所・人称が瞬時に変わり、いま自分がどこにいるのかさえ分からなくなることがあったからだ。それほど発想豊かな小説である。

この小説は、題名にもあるように「東京裁判」を通じて日本というものを考えてみようということであり、それはとりもなおさず、アメリカを考えることにもなるという構成になっていると思う。特に、「天皇の戦争責任」に関するディベートのところは、政治学版『ソフィーの世界』みたいな啓蒙書の観がある。英語(外国語)で考えるということは日本を客観的に考えることであり、論理的に考えるということである。この小説は英語力に裏打ちされた著者の識見に与るところ大である。

ところで、「ピーポゥ」「ピープル」「リトル・ピープル」についてだが、「ピープル」はわたしでもあり、あなたでもあるという責任の相互性を強調したことなのか、日本人は精神的に自立しているか、を問いかけていることなのか、結局、分かったようでよく分からない、自省の念を抱えてこの小説を読み終えたことにする。
   
(2012年7月24日 初版発行 河出書房新社)

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