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zoom RSS ガンディーは日本の意図を見抜いていた

<<   作成日時 : 2012/02/10 19:29   >>

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 今、世界のあちこちでいろいろな紛争が起きています。原因はさまざまですが、それらの紛争を解決する手段として武力が多く用いられます。それは、結果的に相手よりも、より強くより大きい武力が求められ、果てしない軍拡競争へと発展します。それが真の平和へつながるとは誰も思っていません。にもかかわらず私たちはそれを抑制する手段を持ち合わせていないのです。

 そこで私たちは今ここで、20世紀前半、気高い思想とゆるぎない信念で世界の人々に注目され、大きな影響力を与えた偉大な思想家であり実践家であったマハトマ・ガンディー(1869-1948)に再度光を当ててみるのも意義あることではないでしょうか。ガンディーの「非暴力」主義は時代遅れだとか現実的でないと思われる方もいることでしょう。しかし、「暴力」と「不信」の連鎖に明るい展望を見出すことが出来るでしょうか。「武力」と「策謀」で一時的に沈静化をもたらすことがあるかもしれません。しかし、「恨み」と「復讐」の火種を消すことは出来ません。

 理想を追求することは「根気」と「勇気」を必要とします。ですから、私たちが「究極の平和」を求めるならば、それを実現するにふさわしい人間にならなければなりません。その第一歩は自己と誠実に向き合うことです。そうすれば真実が見えてきます。人間を信頼することができるかどうかは自己の「魂の純化」にかかっています。もちろん、人間は精神論だけでは生きられません。人間の生存に必要な条件を獲得する手段で今日の争いがあることは事実です。だからこそ、「人間」をつくることが必要なのです。そこにこそ自然との共存と互恵の精神が生れるのではないでしょうか。

 以下に掲載する記事は、ガンディーが戦時中(1942年)、日本に対して忠告した「すべての日本人に」という文章の全文です。なぜこの記事を載せようかと思ったかといいますと、未だに日本の一部に、かつての日本の戦争はアジアの解放のために、植民地の独立運動を支援する為だったのだと正当化する向きがあることです。あの15年戦争を正しく総括し、真に戦後を終わらせて欲しいのです。そうすれば今日の日本のアジア外交はもっと順調に行くであろうことは間違いありません。

 「みすず書房」様には申し訳ありませんが、このブログを読んでくれた方が一人でも、引用元の『わたしの非暴力』を読んでみようという気になってくれたならば、それをもって、ここに引用させていただいたことのお許しとさせていただきたくお願い申し上げます。

すべての日本人に
 
 最初にわたしは、あなたがた日本人に悪意をもっているわけではありませんが、あなたがたが中国に加えている攻撃を極度にきらっていることを、はっきり申し上げておかなければなりません。あなたがたは、崇高な高みから帝国主義的な野望にまで堕してしまわれたのです。あなたがたはその野心の実現に失敗し、ただアジア解体の張本人になり果てるかもしれません。かくして、知らず知らずのうちに、あなたがたは世界連邦と兄弟愛――それらなくしては、人類に希望はありえないのですが――を妨げることになるでしょう。
 
 今から五十年あまり前に、わたしは十八歳の青年としてロンドンに留学していましたが、爾来、いまは亡きサー・エドウィン・アーノルド〔イギリスの詩人・東洋研究者(一八三二〜一九〇四)。詩をもって東洋の思想・文化をヨーロッパに伝えたが、なかでも釈迦の生涯を歌った『アジアの光』は有名。一八九七年に来日、日本婦人と結婚した〕の著作をとおして、日本民族の多くのすぐれた資質を賞讃することを学びました。わたしは南アフリカで、あなたがたがロシアの武力に対してかがやかしい勝利をおさめたこと〔一九〇五年の日露戦争の勝利〕を知って、感動に身ぶるいしました。一九一五年に南アフリカからインドに帰ってきましたが、その後わたしは、日本人の僧侶たち(1)と親しく交わるようになりました。彼らはときどき、わたしたちの修道場(アシュラム)のメンバーとして起居をともにしたのです。そのうちの一人(1*)は、セヴァグラームの修道場(アシュラム)の貴重な一員となりました。彼の義務への勤勉ぶり、堂々たる態度、欠かしたことのない日々の勤行(ごんぎょう)、温和な物腰、どんな状況の変化にも動じることのない沈着、そして内面の平和のなによりの証(あかし)である自然な微笑などのために、わたしたちはみんな彼に敬愛の念を抱いたのです。そして今日、あなたがたが英国に宣戦をしたおかげで、彼はわたしたちのところから連れ去られてしまいましたが、わたしたちは親愛な同志ともいえる彼を失ったことをさみしく思っています。彼は記念として、彼が毎日唱えていた経文と小さな太鼓〔うちわ太鼓〕を遺してくれました。わたしたちはその太鼓の音で朝夕の祈りを始めています。

 こうした楽しい思い出を背景にもっておりますだけに、わたしにはどうしても理由のないものに思われるあなたがたの中国に対する攻撃のことや、報道が信頼できるなら、あの偉大な古い歴史をもつ国土(くに)をあなたがたが無慈悲にも蹂躙していることを思うたびに、わたしは深い悲しみをおぼえます。

 世界の列強と肩を並べたいというのは、あなたがたのりっぱな野望でありました。けれども、あなたがたの中国に対する侵略や枢軸国との同盟は、たしかに、そうした野心が昂じた不当な逸脱だったのです。

 その国の古典文芸をあなたがたが摂取されてきた、あの偉大な古い国の民族があなたがたの隣人であるという事実に、あなたがたが誇りを感じていられるものとばかり思っていました。お互いの歴史・伝統・文芸を理解し合うことは、あなたがた両国民を友人として結びつけこそすれ、今日のように敵同志にするはずはありません。

 もしわたしが自由な身であったなら、そして貴国を訪れることが許されますなら、わたしの体力は弱ってはいますが、わが身の健康を、いや生命をも賭してあなたがたの国に赴き、あなたがたが中国に対して、世界に対して、ひいてはあなたがた自身に対して行なっている罪悪をやめるよう懇願するでありましょう。

 けれども、わたしにはそのような自由はありません。その上わたしたちは、あなたがたの政策やナチズムにも劣らずわたしたちが嫌悪している帝国主義に反抗しなくてはならないという独自の立場におかれています。帝国主義に対するわたしたちの反抗は、イギリス人に危害を加えるという意味ではありません。わたしたちは彼らを改心させようとしているのです。それは英国支配に対する非武装の反乱です。いまやこの国の有力な政党〔国民会議派を指す〕は、外国人の支配者たちと、決死の、それでいて友好的な闘いを交えているのです。

 しかしこの闘いには、外国からの援助を必要とはしません。聞くところでは、あなたがたのインド攻撃が差し迫っているというこのまたとない機会をとらえて、わたしたちが連合国を窮地に追いやっているというふうに伝えられているそうですが、それは由々しい誤報です。もしわたしたちがイギリスの苦境に乗じて好機をつかもうと思っているのなら、すでに三年前に大戦が勃発すると同時に、行動を起こしていたはずです。

 インドから英国勢力の撤退を要求するわたしたちの運動を、どんなことがあっても誤解してもらってはなりません。実際、伝えられるとおり、あなたがたがインドの独立を熱望していられることを信じてよければ、イギリスがインドの独立を承認した場合、あなたがたはインド攻撃のロ実を失うはずです。さらに、伝えられるところのあなたがたの宣言〔一九四一年十二月八日のアメリカ・イギリスに対する宣戦布告〕は、あなたがたの無慈悲な中国侵略と矛盾しています。

 あなたがたが、もしインドから快く歓迎されるものと信じていられるなら、幻滅の悲哀を感じることになるだろうという事実について、思い違いのないようおことわりしておきましょう。イギリスの撤退を要求する運動の目的と狙いは、インドを解放することによって、いわゆるイギリス帝国主義であろうと、ドイツのナチズムであろうと、あるいはあなたがた日本型のものであろうと、すべての軍国主義的・帝国主義的野心に抵抗する準備をインドがととのえることにあります。もしわたしたちがそれを実行に移さなければ、わたしたちは、非暴力こそ軍国主義精神や野心の唯一つの解毒剤であることを信じていながら、世界の軍国主義化をただ傍観しているだけの卑怯者になり果てるでありましょう。わたし個人としましては、連合国がインドの独立を宣言しないかぎりは、宗教の尊厳に暴力を付与してきた枢軸同盟を粉砕することはできないのではないかと思います。連合国は、あなたがたの残忍にして熟練した戦力を上回らなければ、あなたがたやその同盟国を打ち負かすことはできません。けれども、もし連合国があなたがたの戦術を真似るならば、民主主義と個人の自由のために世界を救済しようという彼らの宣言は、無意味になるにちがいありません。連合国はいますぐにインドの自由を宣告し、それを承認することによって、強制された不本意なインドの協力を、独立インドの自主的な協力に転じることができるのです。そしてそのことから、あなたがたの残酷な行為を真似ずにすむ力を得ることができるものと、わたしは考えます。

 英国と連合国に対して、わたしたちは正義の名において、彼らの公言の証(あかし)において、また彼ら自身の利益のために訴えかけてきました。そしていま、あなたがたに対しては、人類の名において訴えます。情け容赦のない戦争がだれの独占物でもないことに、あなたがたが気づかれていないというのは驚くべきことに思われます。たとえそれが連合国でなくとも、どこか他の国が、きっとあなたがたの方法に改良を加え、あなたがた自身が武器をもってあなたがたを打ち負かすことでしょう。かりにあなたがたが戦争に勝ったとしても、国民が誇りに思うような遺産をなに一つ遺すことにはならないでしょう。どんなに巧妙に演出されても、残虐行為の独演会に国民が誇りをもつはずはありません。

 また、かりにあなたがたが戦争に勝ったとしても、それは、あなたがたが正しかったということの証明にはならないでしょう。それはただ、あなたがたの破壊力のほうがまさっていたことを示すだけです。このことはまた、連合国がいますぐにインドを自由にするという正しい適切な行為に踏み切り、それをもって、アジアやアフリカの他のすべての隷属民族を同じように解放するという保証や約束としないかぎり、明らかに連合国についても言えることです。

 わたしたちのイギリスヘの訴えには、インドに連合国の軍隊を駐留させてもよいという自由インドの意向も合わせて述べられています。その提案は、わたしたちに連合国の大義を傷つけるつもりは毛頭ないことを明らかにするためと、イギリス人が撤退した後、この国に乗り込みさえすればよいというような誘惑を、あなたがたに誤って抱かせないようにするためでした。ここにくりかえすまでもありませんが、もしあなたがたがなにかそのような考えを抱いて、それを実行に移すならば、わたしたちは国をあげて力を結集し、かならずあなたがたに抵抗するでありましょう。わたしがこうしてあなたがたに訴えかけているのは、わたしたちの運動が、あなたがたやその同盟国を正しい方向に導くよう影響を与えるかもしれない、またそれが、あなたがたの道徳的崩壊と人間ロボットヘの転落に終わるにちがいない軌道から、あなたがたと同盟国を救出することができるかもしれないという希望をもっているからです。

 あなたがたからわたしの訴えに応えを期待するのは、イギリスから応えを得るよりもはるかに望み薄です。イギリス人は正義感を失ってはいませんし、また彼らのほうでもわたしを知ってくれていると思います。わたしは、あなたがたを判断できるほどよく存じ上げてはおりません。これまでわたしが読んだすべてのものは、あなたがたはいかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない、ただ剣にのみ耳をかす民族だと語っています。そのように考えるのはあなたがたをはなはだしく誤解していることでありますように、そして、わたしがあなたがたの心の正しい琴線にふれることができますようにと、どんなにか念じていることでしょう! ともかく、わたしは人間性には相反応し合うものがあるとの不滅の信念を抱いています。その信念の力のゆえに、わたしは、インドでいまにも乗り出そうとしている運動(2)を考えています。そして、あなたがたにこの訴えをするようわたしをうながしたのも、他ならぬその信念です。
あなたがたの友であり、その幸いを祈る者である
             M・K・ガンディー
      一九四二年七月十八日 セヴアグラーム
     『ハリジャン』一九四二年七月二十六日号

(1)藤井日達師(*)をはじめとする日本山妙法寺の僧侶たち。
(2)一九四二年八月八日にボンベイの会議派委員会で採択された「インドを出てゆけ」決議をもって始まった、非暴力方式による大衆的闘争を指す。

【マハトマ・ガンディー『わたしの非暴力 2』森本 達雄訳 1997.9.19 みすず書房】より



 

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