求道等の思うこと

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zoom RSS 闇の中の一灯

<<   作成日時 : 2011/06/07 13:35   >>

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 三権分立とはいえ、司法も時の権力と無関係ではない、ということは周知のことではあるが、最高裁が5月30日、6月6日と続けて君が代訴訟で原告を敗訴とする判決を下し、大阪府議会が公立教職員の君が代起立斉唱を義務付ける条例案を可決したように、国民を強引に絡め取ろうとする全体主義的策動がこのところ強まっている。そんな中で、6月6日の最高裁判決は裁判官5名のうち1名は反対している。反対した宮川裁判官の反対意見にはこの問題をどのように考えればよいか貴重な見解が示されている。たとえ違う立場の人間であっても、一度は耳を傾けるに値する内容を持っているものと考える。そこで6月7日の朝日新聞朝刊に載った宮川裁判官の反対意見の要旨をここに転載させていただくことにした。

 憲法は少数者の思想・良心を多数者のそれと等しく尊重し、その思想・良心の核心に反する行為を強制することは許容していない。
 国旗に対する敬礼や国歌の斉唱は多くの人々にとっては自発的な行為であり、起立斉唱は儀式におけるマナーでもあろう。しかし、そうではない人々が相当数存在している。「日の丸」「君が代」を軍国主義や戦前の天皇制絶対主義のシンボルであるとみなし、平和主義や国民主権とは相いれないと考えている。少数ではあっても、そうした人々はともすれば忘れがちな歴史的・根源的問いを社会に投げかけているとみることができる。
 本件職務命令は、直接には元教職員らの歴史観、世界観、教育上の信念を持つことを禁じたり、これに反対する思想を強制したりするものではないので、一見明白に憲法19条に違反するとは言えない。しかし、不起立不斉唱は思想・良心の核心の表出であるか、少なくとも密接に関連する可能性がある。
 多数意見(今回の判決)は、起立斉唱行為を一般的、客観的な視点、いわば多数者の視点で評価している。およそ精神的自由権に関する問題を多数者の観点からのみ考えることは相当でない。
 割り切って起立し斉唱する者もいるだろう。面従腹背する者もいるだろう。起立はするが、声を出して斉唱しない者もいよう。深刻に悩んだ結果として、あるいは信念としてそのように行動することを潔しとしなかった場合、その心情や行動を一般的ではないからとして過小評価するのは相当ではない。
 1999年の国旗・国歌法の施行後、都立高校において、一部の教職員に不起立不斉唱があっても式典は支障なく進行していた。こうした事態を、起立斉唱を義務づけた都教委の2003年の通達は一変させた。卒業式に都職員を派遣し、監視していることや処分状況をみると、通達は式典の円滑な進行を図る価値中立的な意図ではなく、前記歴史観を持つ教職員を念頭におき、その歴史観に対する強い否定的評価を背景に、不利益処分をもってその歴史観に反する行為を強制することにある。
 合憲性の判断にあたっては、通達や職務命令をめぐる諸事情を的確に把握することが不可欠だ。


 これは良心を守る希望の一灯となるであろう。

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