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zoom RSS 「加藤周一さん お別れの会」を前にして

<<   作成日時 : 2009/02/11 16:27   >>

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 現代日本における真の知識人、加藤周一さんが逝かれて早2ヶ月。博覧強記という月並みな言葉では言い尽くせない人間としての深い洞察力と先見の明による幾多の警告を世に与えてきた。それはただに警告を発するのみでなく「九条の会」に見られるように「今」に直接係るエネルギーと誠実さを擁していた。

 対するに時代を逆行させるかのような歴史観を披瀝する右派論陣。
 「改革」という美名の下に規制緩和を推し進め、結局は安全と暮しと地方の荒廃をもたらし、国民資産の争奪戦に道を開いただけの中曽根、小泉民営化路線。今の首相はなんと言っているか。
 「実は俺は民営化に反対だったんです」。
 国民を騙して掠め取った三分の二の議席のお陰で、ただ食いしている三人目の首相が何を言っているのですか。開いた口がふさがらない。

 こんなことを書き連ねていると反って加藤さんの墓前を汚すような気がしてきたのでここらで止めることにする。
 最後に加藤さんの一文を以てこの稿を措くことにする。安らかにお眠り下さい。

「一九四五年のウェリギリウス」より。
  しかし予言者カスサンドゥラの悲しい運命こそは、歴史に於ける理性の役割を、実に鮮かに象徴するものであろう。
 プリアムスの王女、カスサンドゥラは、アポルローより、真実を予言する能力を与えられているが、同時に、何人も彼女の予言を信じないと云う宿命を課せられている。彼女がトゥロイの市民に、希臘人の遺した木馬を城内へ引入れることの危険を洞察して、度々警告した時にも市民はそれを信じないで、木馬を引込む。誰でも知っている通り、木馬からは希臘人が出て来てトゥロイは焼き払われるのである。のみならず、落城の悲惨を彼女自身愚かな市民と共に頒たなければならない。
 例えば独逸帝国主義の侵略戦争に対し、第一の試みに反対したマックス・ヴェーバー、第二の試みに反対したトマス・マンの如きは正に独逸のカスサンドゥラであったと云えよう。皇帝ヴィルヘルムの政府はヴェーバーに耳を傾けなかったし、ヒトラーのナチスはマンを追放した。戦争は彼等の予言した如く決定的敗北に終ったが、その痛手から彼等自身も免れることは出来なかったのである。殷鑑遠からず、全く同様の事態は我国にも起った。
 国家総動員法の木馬は危険であると尾崎行雄は言った。議会はそれを通した。然るに尾崎行雄を批難して、御用議会と共に総動員法に喝采した東京市民は、その木馬の腹から東条一味が躍り出し、戦争をはじめて、東京が焼かれ、住むに家なく、食うにものなき状態に追いこまれても、よもや往年の喝采を忘れはしないであろう。一九四一年十二月八日に、軍国主義を謳歌した者は誰か。ハワイ攻撃の映画が「面白い」と言った者は誰か。それはカスサンドゥラを信ぜぬトゥロイ市民自身ではなかったか。
 何も知らされていなかったと云う程、拙劣な弁解はない。一片の理性があれば、三歳の童子といえども、太平洋戦争の結末を知り得たであろう。カスサンドゥラは尾崎行雄ではない、理性である。
 聞く耳を持たぬのが東京市民の宿命か、それともその言葉の信ぜられぬのが理性の宿命であるか。
 何れにしても、理性は常に正しく、しかし聞かるべき時に必ずしも聞かれたわけではない。
【『1946・文学的考察』講談社、2006年7月10日発行(底本1977年4月冨山房刊。底本の底本1947年5月真善美社刊)】

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